コラムCOLUMN
「品質保証を支える品質教育体系とカリキュラム」
第6回(最終):多様性を大切にする風と、共に育つこと
プリンシパル・コンサルタント 宗 裕二
■文化の多様性は人の多様性
SDGsの一項目「ジェンダー平等を実現しよう」をはじめとした、人の多様性を広く認めようとする風潮が、様々な形で強まったことは良いことだと思う。しかし、人は元々多様なのだと思うし、私はその多様性が好きだったのだと、改めて感じている。マネジメントの専門組織に身を置いて、長い間仕事をさせて頂いていることがその証なのだろう。また、様々な企業にお邪魔して、様々な人々にお会いすることは、どのような企業でも、いくつになろうとも、自分自身の成長に繋がっていると実感している。
ビジネスの世界において、自分を認めてもらいたいと思うことは、ごく自然なことであろう。また、自分の会社の製品や、自分の会社そのものも認めてもらいたいと考えるのも自然だ。自分を認めてもらう最初の一歩は、自分が他人を認めることだと思う。かつて「国による文化の違いを認め、理解しなければ、国際的なビジネスは成り立たない」という趣旨の考え方が中心的であった時代があったように思う。しかし、良く考えてみれば、国による文化の違いは人が作り出すもので、「人の違い」が原点であることは、当然の帰結なのだろう。その「国による文化の違い」という概念を、人の集合体である「市場の違い」と理解するとマーケティングの分野の議論となり、「個人の違い」と理解すれば、人事考課や、教育効果などの分野になってくるのだとも捉えられる。反対に、人が複数人集まれば、そこにコミュニティーとしての文化が存在すると考えても良いのかも知れない。確かに、企業文化があり、その地域としての文化もしっかりあるのだから、ごく当たり前のことなのだろう。問題は、その「違いの程度」がどれほどあるかということであり、自分自身がその違いを、どこまでより幅広く認めることが出来るかどうかということだと思う。現在は改めて、その度量の広さを問われているのだろう。
私事で恐縮だが、私は子供のころから自分と異なる人が大好きだった。そうした人たちと話していると、いつも、ワクワクするような発見や喜びがあると感じるからだ。同時に怖くもあった。自分を認めてくれるかどうかが不安だったのだと思う。本当は、人による違いや、コミュニティーによる違い、国の違いなど一向に意識する必要はないのだと思う。「異なる人と会えば、必ず自分は成長する」と理解すべきだと考えている。そして、他人を認められるようになると同時に、自分自身も認めてもらえるようになると考えるべきであろう。
■あらゆる「違い」を楽しむこと
ほんの少しの間、アメリカのカリフォルニア州で暮らしたことがある。随分と年を重ねてからの渡米であったから、苦労も多かったが、何より毎日の「異なる常識」が楽しくて仕方がなかった。英語だけで英語が勉強できることに驚いたし、日常単語を全く知らないことにも気付かされた。パソコンの電源が切れてきて、「コンセント」を探していたのだが、「コンセント」を英語で何と言うのか知らないのだから呆れてしまう。また、自分を受け入れてくれるかどうか、大いに怖かったのだが、何方にお会いしても、自分を理解してくれようと努力していることを感じることができて、数日で不安は解消した。何より、とても有意義な時間であったし、年寄りだった自分でも、大いに成長したと思う。
暮らしているとき、何より地元のスーパーマーケットへ買い物に出かけるのが楽しかった。何しろ、自分の常識外のものが一杯並んでいるし、それを購入して使い方や調理の仕方を聞き、試してみることができるのだ。子どもの時のように、毎日、ワクワクする経験ができるのだから楽しくて仕方ない。そうした中で、お気に入りの「ザクロジュース」をいつも購入して楽しんでいた。何故なら、日本国内ではほとんど見かけないからである。(地方によってはあるのかも知れないが、現在、私の住まいする都下ではお目にかかることはまずない。)
カリフォルニアザクロは、病気や老化の原因となる体内の酸化を防ぐ効果があるらしいとブームになったことがあるようだ。調べてみると、アントシアニン、タンニン、ポリフェノール、ビタミン類、カリウムが豊富に含まれているらしい。何よりも美味しい。飲みすぎて舌が荒れたことさえある。何事もほどほどが肝要だ。日本にもザクロはあるのだから、健康志向の高い日本国内で何故はやらないのだろうと不思議に思う。日本のジュースは果汁の含有量が少ないのに対し、アメリカのジュースは「100%果汁仕様?」が多いように思うのは私だけだろうか。量の違いは何方もご存じだろう。約2Lのペットボトルは最も小さいものだ。文化の違いを楽しむのは素晴らしい時間だと思う。
■素晴らしき仲間たち
ザクロの絵を提供してくれたのは、今でも交流が続いているアメリカ在住の大切な仲間だ。カリフォルニアで月に1回ほど開催している「週末パーティー」に、私はWebを利用して東京から参加している。色々な職業の人がいて、お酒を飲みながらワイワイとたわいのない話をし、大いにリラックスしている。年齢も経験も環境も異なる人たちの集まりなので、刺激にもなるし、とても楽しい。その中には学校の先生も居て、「教え方の議論」をすることもあった。個性豊かな子供たちに、どうしたら理解してもらえるかを色々と話し、「今度やってみよう!」などと話しながら、その結果報告を聞いたりした。今考えてみると、人が多様な事は当たり前であることが大前提であったと思う。元々は、カリフォルニア州立大学で脳科学を研究している先生が居られ、その先生を中心に「脳の話」を持ち寄って議論することから始まったのだが、いつの間にか「脳に刺激がある話」をすることとなり、今では集まることが刺激になっているのだが、タイトルだけは「脳会」となっている。
そうした中、日系のスーパーで、「日本フェアー」を企画しているとう話があった。担当している当人が「ねえ、どう思う?」と持ち込んだ話の中身はこうだ。日本の郷土菓子を店頭に並べようと思うが、そのパッケージに「侍の漫画」が描かれている。その絵が、米国内の法律に違反しないか?顧客から否定的な反応が出ないか?
この、おしりの露出度合いが問題にならないだろうか?と言うものだ。日本国内であれば、誰も全く気にしないのではないだろうか。この話を聞いた時、アメリカとの文化の違いを実感した。歴史の違いだと思うし、こうしたことにビジネス上は注意が必要であるという文化の違いということなのだと思う。その時、ふと英語を現地で習っていたことを思い出した。UCLAの比較文化論専攻の大学院生に習っていたのだが、プレゼンテーションの宿題を良く出され、「詫び」と「寂び」の違いを説明せよ!というものがあった。その時、「詫び」「寂び」を説明する過程で、「雅」「粋」を説明して、お祭り時の若い衆の「ふんどし」姿を投影したら、「なんでパンツはいてない?」と、いきなり質問されて面食らったことがある。「ふんどし」について、ひとしきり議論した。まさに日本の文化なのだ。
結局、「NHKで大相撲の放送を流しているのだから、問題なさそうだ」ということになったのだが、実際に反応は聞いていないので、次回の確認が楽しみだ。さらに、「これ、ナンバ走りだよね?」と言う話が飛び出した。(ナンバ走りは、右手と右脚、左手と左脚を同時に出す走り方で、江戸時代の走り方と言われている。)さて、ナンバ走りがどれだけ知名度があるか知らないが、果たして気が付く人がいるかしらと、これも気になる。好奇心は絶えることはない。
■共育ということ
共育は、意識しないだけで、日常の仕事の中や生活の中に、常にあるものなのだろうと思う。しかし、それに改めて気付き、大切な時間であることを認識させくれるのは、本を読むことを含めて、教育なのかも知れない。散々、「教育ではなく、共育である」と言っておいて、可笑しな話ではあるが、「共育」の大切さを気付かせてくれる「教育」は、とても大切であり、私達のビジネスにおいて、大げさでなく人生において、大きな位置を占めるものであるかも知れない。社会人として、会社が提供してくれる「ビジネス教育」のチャンスは絶対に生かしたほうが良いと思う。そうした教育の機会を与えてくれることは本当に幸せな事であり、ラッキーな時間であると考えて欲しいものだ。前述の通り、「異なることに触れる時間」が重要であり、そうしたことからも、「自分には関係の無い内容だ」などということはあり得ない。知らないことだからこそ、大いなる刺激となる。
「ジョハリの窓」をご存じの方は多いであろう。ジョンとハリーが出会うことで新しい自己発見が出来るという一つのモデルだが、共育の場は勿論のこと、教育の場も、ジョンがハリーに出会う場であり、自分自身を、そして社会を成長させる最も大切な時間と言っても過言ではないと思う。
コンサルタントプロフィール
プリンシパル・コンサルタント /品質経営研究所 所長
/国際経営コンサルティング協会評議会認定CMC
/技術士(登録番号第25742番;経営工学部門品質管理)
/(公社)全日本能率連盟 専務理事(兼業)
宗 裕二(そう ゆうじ)
現場力の重要性を強く意識し、専門領域である「品質」を中心視座として、日々活動している。
モノづくり企業に求められる品質構築機能は、「最大の価値と、最小のリスクを、最短の時間で創出できる変換機能を構築する」ことであり、「結果としてミニマムコストのモノづくりが可能となり、最高の利益を獲得出来る」ことになると考え、「品質経営」として提唱している。その為に、「従業員の一人一人が、無意識のうちに、顧客価値を予見した行動を取れる文化を築く」ことが重要課題と位置づけ、その推進に力を入れている。